PRODUCTION NOTES
本作のアイディアは、プロデューサーの前田浩子がテレビのニュース番組で男性の更年期障害の特集を見たことから始まった。女性の更年期障害は世の中で広く語られるようになってきたのに、男性の更年期はあまり知られておらず、大っぴらに話をしている人も見たことがない。当の男性たちだって、自身の中年期の変化についてもっと知りたいのではないか。そんな発想からリサーチを重ねる中、前田は同時に加齢による男性の不妊も少なくないことを知る。そんな中、企画の近藤良英から勧められたのが、ヒキタクニオが自身の妊活の経験を綴ったエッセイ『「ヒキタさん!ご懐妊ですよ」男45歳・不妊治療始めました』(光文社新書)である。一読して、その内容に強い関心を持ったという。
前田 「不妊治療は夫婦のナイーブな問題に係ることなので、実情があまり表で語られていないのに対し、原作者のヒキタクニオさんは他の人なら蓋をしてしまいがちな問題でも、大きな声で、なおかつ、明るい文章でその体験を綴っていた。例えば精子をどういう場所で、どういう方法で採取し、どういう容器に入れ、どうやって病院にまでもっていくか、テンポよく、詳細に書いてあり、ドラマとしても、HOW TO妊活としても、『へえ』とうなづくことの連続だった」
もうひとつ前田の心を捉えたのが、原作にある「とにかく、驚くほど多くの人が不妊治療をしていた」という一文だった。リサーチをすると自分の周囲にも不妊治療をしているカップルが多くいて、当然のことながら子どもを授かった人もいれば、授からなかった人もいた。最終的に脚本の監修を依頼することとなる「NPO法人FINE~現在・過去・未来の不妊体験者を支援する会」の協力を得て、不妊治療の経験者への聞き込み、同時に不妊治療に従事する複数の医師のレクチャーも受け、妊活の最前線の状況を脚本に織り込んだ。

映画化へのオファーに原作者のヒキタも快諾し、映画監督は『ぱいかじ南海作戦』、『オケ老人』の細川徹を抜擢。細川は複数のクリニックに取材をしたところ、「不妊治療への取り組み方、考え方、治療の進め方は医師やクリニックによってそれぞれ全く違い、何が正解というものがないことに驚いた」と語る。
細川 「なるべく自然妊娠に近いサイクルでの妊娠を目指すお医者様もいれば、体外受精や顕微授精などの生殖補助医療(ART)に積極的なお医者様もいる。どちらを選んでも、絶対に赤ちゃんを授かるかはわからないし、いつ妊娠するかもはっきりしない。妊活においては、ゴールが見えないマラソンの中で、夫婦がどのように話し合い、寄り添い、並走していくかが大切で、結果はともあれ、その過程を大切に描こうと思いました」
細川がさらに心がけたのは、ヒキタの気持ちとサチの気持ち、その両方を描くこと。そして、子どもが欲しいという夫婦の気持ちをセックス以外の表現で描くこと。無遠慮にベッドルームにカメラが乗り込むような、デリカシーのない撮影は避け、老若男女が楽しく鑑賞し、その後もラフに話し合える内容を目指した。
細川 「色々リサーチした結果、夫婦の数だけ子どもを持つことへの考え方、そして子づくりへの考え方がある。原作でヒキタさんは自分自身を責めるのではなく、自分の“駄目金玉”にダメだしをし、そのことをコミカルに描いていて面白い。色々試した結果、妊活を辞める人の選択も描いているけれど、その文体も重くない。もちろん、妊娠しても残念な結果に至るなど、軽くない事例も出てきますが、それでも夫婦というユニットが年月を積み重ねる中でお互いに何を見つめ合っていくのか、その過程を探ることを目指しました」
劇中のヒキタが直面するのが、自分の精子の運動率20%という、動かしようもない数字である。8割が役に立たず、残りの2割も動きが悪く、そこには加齢という、いかんともしがたい事情が絡んでいる。一般的に自然妊娠を目指す精子の運動率は40%以上と言われ、そこからヒキタの涙ぐましい努力が始まる。
この良い精子を作るための奮闘ぶりをいやらしく見せず、でも、軽すぎず、下品にもしない人。そんな難題を叶えるのはこの人しかいないと、細川と前田が白羽の矢を立てたのが松重豊だった。
細川 「原作者のヒキタさんは革ジャンに皮ブーツ、スキンヘッドにサングラスという一見、強面の方ですが、僕たちはヒキタさん個人の体験を描く映画ではなく、ヒキタさんの体験を通して多くの方々に妊活を疑似体験してもらえる内容にしたかったので、ヒキタさん本人の了承を得て、主人公のキャラクターに松重さんのパーソナリティを生かす方向へシフトしました。年齢を49歳に引き上げ、とっつきやすくて、愛らしく、でも、時に少年のような弱さを見せるキャラクターへと変えました」
前田 「松重さんは全ての撮影が終わったとき、『妊活の話だと思って受けたけれど、演じて終えたら、妊活を通して描く家族のラブストーリーでした』と感想を話されました。そこをしっかり押さえて演じてくださって頼もしかったです」
サチ役には松重と並んでお似合いであること、年の差婚を感じさせない落ち着きと強さを持つ女性ということで北川景子が抜擢された。前田は一度目の妊娠が流産という結果となったサチが、夜の桜並木の下で泣き崩れる場面が忘れられないという。北川は本番で感情が噴出し、突然、膝から崩れ落ち、咄嗟に松重が支えるというまさにライブなやり取りになったからだ。

クランクインは2018年4月5日、クランクアップが4月26日。目黒区のマンション一棟を借り切って、ヒキタ夫妻の2LDKの部屋の撮影が行われた。夫婦が散歩する商店街は荒川区の尾久商店街。劇中、夫婦が4年間にわたり、重大なやり取りをする桜並木は長野県諏訪で撮影された。
去る4月に開催された北京国際映画祭でワールドプレミアを果たし、主演ドラマ「孤独のグルメ」の放映で中国でも絶大な人気を誇る松重の存在もあって、異例の5回上映も即日完売の盛況を博した。2015年に35年続いた一人っ子政策を廃止した中国では、不妊に悩むカップルの数が顕在化しており、国境を越えてヒキタ夫妻のチャレンジに強い共感が寄せられた。命を育む奇跡という普遍的な題材を扱っているだけに、今後この作品がどこまで広がっていくのか、その興味も尽きない。